札幌の地に根差した
創業から現在までの札幌拓殖倉庫

歴史

  • 札幌拓殖倉庫株式会社創立

    北6条西1丁目の土地、石造倉庫5棟並びに木造倉庫1棟を買入れ、倉庫業を開始しました。明治45年7月25日、豊平館にて創立総会が開かれました。
    塚島由太郎氏が初代社長に就任。

  • 札幌、函館、小樽、室蘭、旭川、釧路の6市が誕生

  • 片山兼吉氏が2代目社長に就任

  • 創業40周年記念

    創業40周年を記念して、物故社員を偲ぶ慰霊祭、記念式典並びに記念パーティーを行いました。

  • 桑園新倉庫完成

    桑園新倉庫が完成し、新築落成式典を行いました。ハワイアンバンドの演奏などもあり、賑やかに執り行われました。この倉庫は本社倉庫として今も現存しています。

  • 道内の国鉄貨物輸送は戦後最高の取り扱い量となりました。
    この時期から倉庫は商品保管業から商品流通の役割を担う流れに変わっていきました。

  • 専務取締役の池田一郎氏が3代目社長に就任

  • 創業50周年

    創業50周年記念式典が開かれました。一層サービスに努め、札幌の地で今後も歩み続けるとの士気を高め合いました。式典では三越職員編成のハワイアンバンドの演奏で盛況ののち閉幕しました。

  • 金融引き締めなどによる不況で、北海道の倉庫業者は臨港での総入庫料の減少傾向に頭を悩ませていました。近年のトラック輸送の発達により、降ろされた荷物はすぐに消費地に送られるようになったためです。ストックポイントとしての倉庫の役割が問われ始めていました。

  • 倉荷証券事件

    札幌拓殖倉庫が、倉荷証券に関する訴訟事件において、11年を経て最高裁にて勝訴しました。昭和33年(1958年)、業者が受荷の検品を倉庫業者立ち会いの上で行ったところ、「本来の受荷の内容と異なっていた」として札幌拓殖倉庫を相手取り訴えを起こした事から裁判が始まりました。いつも倉庫業界に対する厚い障壁となっていた「無検査での受寄による内容物への責任問題」が打破され、倉庫業界は、無検査で受寄する荷物に対する責任は問われないことになりました。この判決は後の倉庫業界に大きく影響を与えています。

  • 本社を桑園(北8条西14丁目)に移転

  • 創業60周年

    創業60周年記念式典として、北海道神宮にて創業60周年記念慰霊祭を、同日札幌プリンスホテルにおいて祝賀パーティーが行われました。
    同年、札幌市が政令都市になりました。

  • 国鉄函館本線高架化事業開始

    札幌市が発展していく上で、市内を南北に分断している旧国鉄函館本線の高架化は避けて通ることのできない問題でした。この鉄道高架化事業用地として旧本社倉庫の土地(北6条西1丁目)が収容されることとなり、軟石倉庫群も取り壊されることになりました。その後、倉庫の一部は解体までの間、駅裏8号として交流の場ともなりましたが、昭和57年に取り壊しが完了し、その役目を終えました。

  • 平和通倉庫完成

    札幌市白石区平和通15丁目北

    旧本社倉庫の収用が難航する中、業績を改善する目的で賃貸用倉庫として建設されました。その後の不動産賃貸業に転換していく先駆けとなりました。

  • 不動産賃貸業への転換

    旧本社倉庫の収用に伴う代替投資事業として、それまでの倉庫業主体の経営から、不動産賃貸業主体の形態への転換を進めました。
    現本社倉庫付近の土地を中心に建設用地を取得し、賃貸物件の建設に着手しました。

  • 第1拓殖ビル完成

    札幌市中央区北10条西16丁目

  • 駅裏8号倉庫の芽吹き

    札幌駅裏で取り壊しを待っていた軟石倉庫が、若者たちの文化活動の場として息を吹き返しました。取り壊し予定までの1年間、演劇、コンサート、映画自主上映などが可能なフリースペースとして、つかの間歩むこととなりました。自由な場を求める多くの若者に愛され、翌年の9月に取り壊されました。
    海の記念日にあたり、運輸大臣より社長が表彰されました。

  • 第2拓殖ビル完成

    札幌市白石区本通21丁目南

  • 第3拓殖ビル完成

    札幌市中央区北8条西18丁目

  • 第4拓殖ビル完成

    札幌市中央区北10条西17丁目

  • 第5拓殖ビル取得

    札幌市中央区北7条西19丁目

  • 第6倉庫・第6拓殖ビル取得

    札幌市中央区北6条西19丁目

  • 軟石倉庫の取り壊し

    雑穀の出荷拠点の倉庫、商店として市民に長らく親しまれた現在の札幌駅北側の5棟の軟石倉庫が、国鉄高架化の影響により解体されました。

  • フレクスビル完成

    札幌市中央区北8条西18丁目

  •   

    旧倉庫の寄贈

    北海道開拓の村へ旧倉庫を寄贈し、北海道知事応接室において知事感謝状と記念品を拝受しました。この旧倉庫は「駅裏8号倉庫」と呼ばれ、昭和56年(1981年)8月から昭和57年(1982年)9月まで、若者たちの文化芸術交流の場として親しまれていました。

  •      

    池田顕氏が代表取締役に就任

  • 南郷通倉庫取得

    札幌市白石区南郷通20丁目北

  • スタジオビル完成

    札幌市中央区北9条西18丁目

  • 第7拓殖ビル取得

    札幌市中央区北19条西7丁目

  • 白石中央倉庫取得

    札幌市白石区中央2条2丁目

  • リューズビル完成

    札幌市中央区北4条西18丁目

  • メタスタジオ完成

    札幌市中央区北6条西18丁目

    • 創業80周年

      創業80周年を記念し、新善光寺本堂にて当社創立以来の関係物故者の慰霊法要が行われました。また、記念事業の一つとして下記の寄付も行われ、平成5年内閣総理大臣より褒状を拝受しました。


      1.札幌市(青少年育成資金)1000万円
      2.(財)北海道開拓の村   300万円
      3.北海道新聞社会福祉振興基金 200万円

    • エアリービル完成

      札幌市中央区北8条西18丁目

    • 北10条駐車場取得

      札幌市中央区北10条西20丁目

    • 環状通ビル取得

      札幌市白石区中央1条7丁目

    • 創業100周年

      札幌グランドホテルにて創業100周年記念慰霊法要が執り行われました。また、同ホテルにて記念式典とパネル展示「札幌拓殖倉庫100年の歩み」を行った。
      また、記念事業の一つとして、下記の寄付を行いました。

      ・一般財団法人北海道開拓の村文化財保存基金 200万円
      ・いわての学び希望基金(岩手県) 100万円
      ・東日本大震災みやぎこども育英基金(宮城県) 100万円
      ・東日本大震災ふくしまこども寄附金(福島県) 100万円
      100周年記念(札幌拓殖倉庫百年史)を発行しました

    • 第2ビル別館完成

      札幌市白石区本通21丁目南

    • 本通ビル取得

      札幌市白石区本通8丁目北

    • 創業110周年

      代表取締役に池田俊介氏が就任
      創業110周年記念事業の一つとして、札幌市奨学基金に300万円の寄付を行いました。