資料と写真で振り返る駅裏8号倉庫

オープン前

  • 本格オープン前の駅裏8号倉庫の様子

    出典:COOKIN' GUMBO Vol.1 SAPPORO 駅裏8号倉庫

  • 鉄道高架化により撤去されることになった軟石倉庫

    出典:昭和53年(1978年)4月8日

  • 取り壊しを待つ石造り倉庫が、若者たちの発表の場として息を吹き返した

    出典:北海道新聞 道内版 昭和56年(1981年)8月17日

オープンから活動期

  • 9月1日 フリー・スペース駅裏8号倉庫オープン

    広さ150平米、30代中心演劇や音楽のプロデューサーが中心となり、札幌の文化拠点を作るべく活動

    出典:北海道新聞

  • 「僕たちには場が必要だ」を合言葉に、昭和56年8月にオープン

    3月の卒業シーズンには高校生バンドの卒業記念コンサートで大盛況

    出典:昭和57年3月29日 掲載

  • 第2次「駅裏8号倉庫」での劇団極公演「えへらへら」のワンシーン

    1985年頃、撮影・小室治夫

    出典:和田由美のさっぽろマチナカグラフィティー 4丁目十字街は市内最大の繁華街だった(下)

  • 梁の上から見た第1次「駅8」内部。手作りした箱状の客席が見える

    撮影:小室治夫

    出典:平成31年(2019年)3月10日 北海道新聞

  • 北海道開拓の村に移され、保存されることとなった

    出典:北海道新聞 昭和57(1982年)11月19日

当時を振り返って

  • 「駅8」名物ロングラン企画のチケット。
    全演目を載せるため細長い形になっている

    「駅8」では43日間の全公演を格安で見られる「43日真冬のブリザード」などのユニークなイベントが実施された。映像に興味がある人は映画だけ見るのではなく、芝居にも興味を持って欲しいというコンセプト。多くの人が多様な芸術に触れるきっかけとなった。

    出典:SIM札幌インタビューマガジン vol.1 2005年11月号 シアターKINO 中島洋氏インタビュー

    出典:平成31年(2019年)3月10日 北海道新聞

  • 昭和58年(1983年)6月から昭和61年(1986年)4月まで活動していた、第2次・駅裏8号倉庫

    出典:駅裏8号倉庫 いいづかMEMO 2005年5月1日 飯塚優子

    「駅裏8号倉庫という現象ー80年代、先進的な表現の実験場ー」

    出典:2014年 札幌国際芸術祭「札幌芸術文化史を知ろう!」

  • 「駅8運営委員会は雲の上の存在だった」と語る、株式会社クリエイティブオフィスキュー社長 伊藤亜由美氏

    学生時代に「駅8」で見た、当時鈴井貴之氏率いる劇団ノーティキッズの芝居に感化され、その日に入団を申し込んだそう。現在の事務所設立のきっかけに繋がっている

    出典:平成31年(2019年)3月10日 北海道新聞 

  • 昭和55年(1980年)4月に劇団53荘を結成

    発起人の1人である劇団53荘植田氏による活動スペース探しが、「駅8」オープンへと繋がった。「三人のゴミが劇団をつくりました。」という衝撃的な挨拶状と共に、劇団を結成。

    出典:札幌の演劇 北海道新聞社 1983年6月1日

  • 北海道開拓の村にて、第1次駅裏8号倉庫の歴史を振り返る 劇団53荘植田氏

    出典:平成31年(2019年)3月10日 北海道新聞

  • 「駅8」終了後に西区に生まれた劇場コンカリーニョでの公演

    日食倉庫だった場所を使用し平成7年(1995年)にオープンした際、「駅8」運営委員会に相談し助言をもらったという

    出典:平成31年(2019年)3月10日 北海道新聞